ご覧頂きありがとうございます!傳駿河州島田義助(無銘)の刀でございます。
ご覧頂きありがとうございます!傳駿河州島田義助(無銘)の刀でございます。 銘:表【-】 裏【-】
日本刀剣保存会鑑定:【傳駿河州島田義助】
年代:天正頃
付属品:登録書・鑑定書
種別:刀
登録番号4698 昭和 26年 8月 2日
サイズ:長さ 貮尺壱寸八分cm
反り 五分0厘cm
目くぎ穴 3個
元幅:2.7cm
元重:0.7cm
先幅:1.5cm
先重:0.5cm
全長:107cm程(鞘含む)
刀身重量:635g(ハバキ・柄を除く)
ハバキ重量:28g
波紋:焼高 匂い口沈む 大湾れ乱れ皆焼風
造り込み:鎬造り 庵棟
鋩子 :直ぐ調に小丸
鍜 : 板目詰む
島田義助について
島田義助は室町時代、駿河国(静岡県-中部)島田派の刀工で、義助・助宗・広助の三工が室町中期から新刀期にかけて活躍した。古刀期のみならず江戸時代さらに幕末まで連錦として続いている。義助は島田派のなかでも主流となる刀工で、室町期だけでも四工いるといわれているものの、その代別は難しく、年紀のあるものでは永正二年紀のものが最も古い。義助の系図を古刀銘尽大全では、初代を康正頃としているが作刀をみることができず、二代までには50年近くの開きがある。二代は永正頃として片岡新三郎と称し、五条姓に変わったのはその後という。三代は天文頃、以後は義助の名がない。刀工総覧では永禄・天正年紀のものをあげて四代としている。掌中古刀銘鑑には四代:義助は天正・文禄頃としている。刀工辞典では実際に作刀のみられる初代を大永頃、二代を弘治頃としている。永正・大永頃の初代は銘字が全体に丸みを帯びてこぢんまりとした感があり、弘治頃の二代は初代に比べて銘を大振りに切る。結城晴朝は天文3年(1534)の誕生であるので、御手杵を鍛えた義助は銘鑑でいう天正・文禄頃の四代、刀工辞典の弘治頃の二代に相当するとおもわれる。作風は、末相州鍛冶の影響を色濃く受け、皆焼、乱れ刃、直刃などがあり、彫物も上手である。また、義助は槍の名手としても著名である。
※落札後、銃砲刀剣類所持等取締法にもとづき都道府県の教育委員会に所有者変更の届け出が必要です。
※刀掛けは、撮影用のため付属品では、ございません。